被災者宅を訪問 2月26日(木)

大きな仮設住宅にはいろんなボランティア団体が支援に訪れて、物資を配ったり、炊き出しがあったり、歌や音楽などのイベントを催したりと多くの支援が届きます。その一方で、小さな仮設住宅や、みなし仮設には支援の手が届きにくいというのが現実です。
清水さんは、以前から支援が届きにくいような仮設住宅やみなし仮設にも訪問して、お水などの支援をおこない被災者の話し相手となって、寄り添う活動を続けいます。

しばらく、清水さんもこうした方々の訪問ができておらず、お互いに元気でいるか心配でもありますので、今回は私と母で、陸前高田市気仙町の詩吟の先生、陸前高田市小友町の床屋さん、気仙沼市本吉町蔵内の方々を訪問して、お水とお米をお届けしてながら、元気でいるか様子を見にいって来ました。


1.陸前高田市気仙町の仮設住宅にお住いの詩吟の先生

はじめに、気仙町の仮設住宅にお住いの詩吟の先生を訪ねました。住所をもとに仮設住宅を捜して辿りついてみると、そこには仮設はあるものの人が誰も住んでいる様子が全くなく、周辺の崖や山が崩されて土地の造成工事が始まっていました。すでに住民の方々はどこかへ転居された後だったようです。早速、詩吟の先生にお電話をしてみると、新しくできた災害公営住宅に引っ越されたばかりで、前日に引っ越しを終えて、夜遅くまで荷物の片づけてしておられたようでした。早速、その災害公営住宅を訪問いたしました。

完成したばかりの公営住宅で、全40戸ほどの4階建てのマンションタイプの公営住宅でした。エレベーターが完備し、いろんな所に手すりが備えてあり、段差が少なく、高齢者への配慮がされています。お部屋にお邪魔して、1時間ほどお話しを聞かせて頂きました。引っ越しの際は、娘家族が手伝ってくれたり、ボランティアの方々が手伝ってくれたり、いろんな方が支援して行なわれているようでした。それにしても、お年寄りの引っ越しはとても大変です。梱包から搬出・搬入、そして新居での荷物の整理。1人暮らしのお年寄りには酷な作業だと思いました。それでも、やはり仮設ではなく、自分の家に住むことができると言うのは、被災者にとっても大きな喜びです。仮設住宅では考えもしなかったような、カーテンやカーペットの色を考えたり、台所用品を揃えたり、電化製品を買い求めたり、出費はかかりますが、生活に張りも出ますし、より一層元気をだして行って欲しいと思いました。


2.陸前高田市小友町の床屋さん

この小友町の床屋さんをしているFさんには、早い時期からボランティアで関わっていおり、訪れた方もいると思います。
この方はご主人と二人暮らしで、訪問した時はご主人はディーサービスで外出中でした。ここでも1時間ほどお話しを聞かせて貰いました。

Fさんは津波で息子さんを亡くしました。ちょうど私と同じ年代の昭和49年生まれで、助かっていれば今年41歳。小学生の子ども(Fさんにとっては孫)がいて、震災前は共働きだった息子夫婦の代わりに、よく子どもの面倒と見ていたそうです。今はお嫁さんが子どもと自分の両親と住んでいるので、なかなか孫に会う機会もないと、寂しそうでした。

Fさんは私に対して息子に話すように、「仕事なんてどうにでもなるから、津波が来たら逃げなさいよ」と話してくれました。
ボランティアに来る若い人や、Fさんは現在自宅を再建中ですが、そこで仕事をしている大工さんにも、上司や棟梁が大丈夫だと言っても、自分の判断で逃げなさいと伝えていると話してくれました。Fさんの息子さんは、仕事がら自分の判断だけで、すぐに逃げることができなかった。その為に津波に飲み込まれてしまったようでした。
そのことが悔やまれて、同じ目にあわないように、若い人には直ぐに逃げるようにと伝えていると言っておられ、Fさん悔しさ、悲しみが伝わって来ました。


3.気仙沼市本吉町蔵内の方々

今度は、気仙沼市の南側にある本吉町蔵内に行き、2件のお宅にお水とお米を届けました。この地域は水道事情が悪く、飲み水に困っているそうです。
2件目に訪れたOさんの家は、少し高台のところに建っている一軒家ですが、津波に一階は浸水しました。
訪問した時は不在でしたが、Oさん宅のおじいさんは津波が押し寄せてくる様子を家の窓から見ていたそうで、
その事が今でもトラウマとなって、窓に背を向けて座っているそうです。
お会いすることは出来ませんでしたが、玄関先に出て来てくれたお嫁さんが言うには、みなさん元気でいらっしゃるとのことでした。
今回も、地域の方にお配り頂くように、お水を8ケースお届けさせて頂きました。