カフェ・デ・モンク(石巻市の仮設住宅)に参加  3月11日(水)

 この日をどのように過ごさせて頂こうかと、少し前から考えておりました。
  私たちは、これからも被災者と共にありたい、被災者のこころに寄り添う活動をさせて頂きたいという願いのもと、 金光ボランティア会を立ち上げました。そして、会のホームページのトップには、「一人ひとりの復興のために」と書かせて頂きました。 復興といっても20年も経過すれば、東北の被災地も神戸の街並みのようにきれいに整備され、 震災があったことが嘘のように思えるようになるのかもしれません(そうであって欲しいと願います)。
 しかし、被災者の傷ついたこころや記憶は、決して無くなるわけではないと思います。こころの傷跡が、癒えて残るか、癒えずに残ってしまうかは、被災者一人ひとりが震災とどのように向き合っていくかという事にかかっています。それには、決して一人で乗り越えられるものではなく、誰かの支えが必要ですし、助けが必要であると感じています。 特に、この3.11は被災者にとって特別な日であるのは言うまでもありません。
 記念日反応ということばがあります。この日を迎えると、当時の体験が蘇り、フラッシュバックや気分が悪くなったり、
 落ち込んだり、涙もろくなったり、体調を崩したりすることがあります。逆に気分が高揚したり、わけもなくイライラする人もいるそうです。こうした反応が出ることはごく自然なことで、人によって症状はさまざまだそうですが、一人でいては不安なのではないかと思います。


  今回のカフェデモンクは、自治会長さんからの願いがあり、仮設住民には追悼式典などにも出席できない方が多いので、 集会所で追悼の祈りの集会を開いてくれないかとのご要望を頂いたそうです。そこでカフェの主催者からのご連絡を頂きまして、私も参加させて頂きました。


 12:30からカフェがオープンとなりますが、はじめから多くの住民さんが集まっていて、我々が入る隙間もないほど、集会所の中は混雑していました。
3.11であり、追悼集会という事もあって、多くの住民が集まっていたようです。それにしても、みなさんどこか落ち着かない様子で、元気もなく、普段の笑い声などは一切聞こえて来ませんでした。
 14:46が近づくに連れて、誰もがそわそわしている感じがありました。 追悼儀礼は、14:46のサイレンにあわせて黙祷を行ない、
 続いて、曹洞宗、金光教、浄土真宗の順番で儀礼を行ないました。 儀礼が終わると、御焼香が回されて、住民の方々それぞれに祈りを込められていました。

 私は、いつものカフェのつもりで参加していましたので、私服のままでしたが、まず自己紹介と金光教式の一拝四拍手一拝を説明させていただいてから、 「東日本大震災御霊追悼の祈り」を奉唱させて頂きました。 住民の方々からの眼差しと、場の雰囲気に圧倒されて声が震えていましたが、 何とか最後まで唱えさせて頂くことができました。その後、挨拶を求められましたので、少しお話しもさせて頂きました。 通常カフェデモンクでは、宗教儀礼や特定の宗教的なお話しはしないのですが、 今回は住民さんからの要望があっての集会でもありますので、各宗の方々も被災者の助かりを願い、それぞれにお話しをされておりました。 今回の集会は、自治会長さんの計らいによって実現したものですが、自治会長さんの思いがとても尊いものであると感じました。この3.11どのように過ごすかということは、被災者である住民にとっては大きな問題だと思います。
 特に遺族であればなおのことですが、足を運ぶことができない人達が多くいるのも現実です。この日この時間をみんなで一緒に過ごし、犠牲者への祈りを共にし、共に乗り越えていこうという自治会長さんの願いに感動いたしました。


  震災から4年が経過し、災害公営住宅の建設がようやくはじまりましたが、スピードはなかなか上がりません。その一方で東京では、国立競技場の取り壊しがはじまり、オリンピックに向けた都市開発も進んでいるようです。 被災地の復興への影響がもろにではじめています。 災害公営住宅に入居できたとしても、そこでの孤独死が相次いでいますし、落ち着きを見せるどころか、長引けばそれだけ問題が出てくるという感じがあります。

まだまだ先は長く、被災者への支援も必要なことは間違いないようです。